看護師時代 その2
卒後1年目の新人看護師の私は、毎日怒られながら業務に当たっていました。
そして月日が流れて、もう少しで2年目になろうかという時期…。
同じ病棟で働く同期の人から突然、「3月で辞める」と言われました。
共に励まし合い、頑張ってきた仲だったので、ビックリしたしショックでした。
同期の人は、職場内の精神的なダメージを受け、これ以上はムリだと判断し辞めることを決意したみたいでした。
私も同期の人と同じように、辞めたい気持ちはありましたが、行動に移すことが出来ず…。
こうして同期の人は辞め、病棟で同期の人がいない私は2年目に突入してしまいました。
2年目になっても先輩看護師の態度は変わらず、1年目と同等の対応をされていました。
ある先輩看護師からは、朝の申し送りを聞いていただけで、私の頭をバインダーで叩かれてしまいました。
受け答えがきちんと出来なかったのもあったかも知れませんが、急に頭を叩かれたこともありショックで泣きそうでした。
毎日職場に行くのも嫌になり、出社拒否になる一歩手前までいってしまいました。
精神的にも肉体的にも、ボロボロでした。
そうしてるうちに病棟を編成することになり、新たな科のチームの一員になりました。
苦手な先輩看護師は違う科のチームの一員になり、病棟は一緒ですが怒られることはなくなっていきました。
私の担当の科は、毎日が手術出しなどが多く、1年目と違い忙しくなりました。
2年目ということもあり、責任重大なことも任されることが多くなり…。
忙しいながらも看護師として、充実した毎日を送っていました。
他の看護師から、私をからかったりされ、あれだけ嫌だった職場が居心地のいい場所に変わっていきました。
そして今後の事を考えるようになりました。
3年目からはプリセプターとなり、新人看護師を教育しなくてはならない立場になっていきます。
私としても成長出来る場でもありますが、プリセプターになって人を教える立場になれないと思いました。
出来の悪い看護師でしたし、教える立場ではなく教わる立場の方が、私には合っていると…。
そう考えたのは、職場の環境にありました。先輩看護師から、そういう目で見られていたからでした。
看護のいろはを一から教えてもらい、多くのこと学ばせてくれた総合病院。
途中から居心地のいい場所になった職場。
たくさん悩み、出した答えは…。
2年目で辞めることでした。
自分の考えが甘いのは、よく分かっていました。継続していれば、いつかは自分の成長に繋がることも分かっていました。
けれどその時は、辞めるしか結論が出ませんでした。