専門学校 看護の道 ④
2年になり1年と同様、学校生活を送っていました。
専門学校 看護の道 ③
こうして高校を卒業し、私は看護専門学校に進学しました。
高校生活 看護の道 ②
そして3年になり、高校生活最後の年となってしまいました。
本格的に病院での実習が始まり、患者さんを受け持つことになりました。体を拭いたり、足を洗ったりくらいしか出来ませんが…。その他は、検査の見学や処置の見学などをしました。
夏休みを利用して、看護体験を病院で体験しました。実習とさほど変わりはありませんが、いい体験が出来ました。
グループの1人の友達と仲良くなり、親友と呼ぶほどになりました。一緒に買い物したり、テスト期間中は一緒に図書館で勉強したり、夏祭りや花火大会に行ったり…。親友といてとても楽しかったし、いい思い出が出来ました。
学校の授業も終了し、最後の最後にある准看護師資格試験に向けて勉強しました。私は准看護師資格試験に合格し、高校卒業と同時に資格も取得することが出来ました。
そしてさらに上の正看護師の資格を取得するため、専門学校に進学することにしました。
いくつかの学校を受験しその中1つ、県内にある学校に進学することに決めました。
あっという間に、高校生活が終わってしまいました。高校生活の中で、この3年生が一番思い出深い1年になりました。
高校生活 看護の道①
そして私は、衛生看護科のある高校に入学しました。公立高校に落ちたことはショックだったけど、看護の道に進むことが出来たので、とても嬉しかったです。
そして2年になりグルーブ内の人たちと、些細なことがきっかけで仲間外れにされてしまいました。手紙回しも、私だけ回ってこず…。
謝っても許してもらえず、仲間外れだけでは物足りず、無視されるようになってしまいました。
その時4人組のグループの1人から、声を掛けられました。「大丈夫?」「私たちのところにおいでよ!」と…。
それからというもの、そのグループの人たちと仲良くなり、一緒にお弁当食べたり、帰ったりするようになりました。そのグループに入れて、よかったです。
学校行事で、看護科特有の戴帽式がありました。また修学旅行で、初の海外に行きました。
その後、老人ホームでの看護実習が始まっていきました。初めての実習は、とても緊張してしまいました。
実習がどういうものか、感じることが出来た2年でした。
中学時代
小学を卒業し、中学に入学しました。
はっきり言って中学生活の思い出なんて、あるようでないものです。あまり思い出せません。
母が亡くなった事が関係しているのか、心にポッカリ穴が開いた状態でなんとなくの生活を送っていたように思います。
自分の性格が内向的なのが、さらに内向的になってしまい…。自分の殻に閉じこもっていた感じでした。
たまに「私なんていなくても、誰も困らないんじゃないか」って思ったり、自分に自信がなくなり軽い自傷行為してみたり…。中学生活は、何もかもが苦痛でした。
友達はいたのですが、なぜか1歩身を引いて接していました。なので親友と呼べる友達がいませんでした。
学校での行事(日帰り旅行・修学旅行など)が苦手でした。班を決めたり、バスの座席を決めたり…。
いつも残ってしまい、誰かから「こっちにおいでよ」「一緒に座ろう」って声をかけてもらっていました。
グループに入ることも出来ませんでした。グループに入れたとしても馴染めなくて、休み時間は1人で過ごす事が多かったように思います。
勉強も苦手になり、テストも悪い点数ばかり取ってしまい、テストや通知表見せれば、父や姉たちに怒られてばかりでした。
自分が情けなかった。
高校受験も…。
塾に通っていたけど、なかなか思うように成績が上がらず。受験直前に塾をやめてしまいました。
結果、第一志望の公立高校を受験するも落ちてしまい…。滑り止めで受けた高校に進学する事になりました。
本当に中学時代は、気持ち的に辛かったです。子どもから大人へと向かう成長課程の中なのか、自分で自分の事が分からず、自分の事が大嫌いでした。
いつか自分の事が分かり、自分の事を好きになる時が来るのかなって思ったりしていました。
母
幼い頃私は、母が嫌いでした。理由は厳しかったし、我慢させられることが多かったからです。
突然の出来事
私の人生がガラって変わる、大きな出来事がありました。それは、あまりにも突然の出来事でした。