yuki_life_yukiのブログ

自分の人生を振り返り、未来に向けて考えるブログ

専門学校  看護の道 ④

2年になり1年と同様、学校生活を送っていました。

 
前半は授業を受けたり、テストがあったり…。アルバイトに精を出し、毎日が充実しのんびりゆったりな感じで過ごしていました。
 
後半からは、病院での実習が始まっていきました。その頃にはアルバイトを辞め、実習の毎日。
 
高校の実習とは全然違い、レポートの量がものすごく多かったです。
 
1人の患者さんを受け持ち、情報収集しながらアセスメント。
 
そして問題を見つけ、看護計画を立案、実施、評価していかなくてはならず…。
 
1実習は2~3週間しかなく、毎日実習から帰宅しては教科書や参考書とにらめっこしていました。
 
患者さんの置かれている現状をうまく掴むことが出来ず、なんとかして実習をやり遂げている感じでした。

専門学校  看護の道 ③

こうして高校を卒業し、私は看護専門学校に進学しました。

 
自宅から通学しようと思っていましたが、進学校が働きながら行ける学校だと分かりました。
 
学校近くの病院に准看護師として就職し、自宅を出て一人暮らしをすることになりました。
 
病院で働くのは何もかもが初めてで、慣れるまでが大変でした。准看護師だけど学生だし…、っていうのは通用しないことが分かりました。
 
白衣を着てると立場とか関係なしに、1人の医療従事者として患者さんから見られてしまいます。
 
あいまいな知識や技術があっても、本当に素人感覚な私。患者さんの髪の毛を洗ったり、体を拭いたり…。それぐらいの事しか出来ませんでした。
 
学校が始まり…。学校と仕事の両立が私の体に負担となってしまい、授業中に寝たり、体調を崩したりするようになりました。
 
これではいけないと思い仕事を辞め、学校1本で頑張っていこうと決めました。けれど病院で働けたことは、本当にいい経験だったと思いました。
 
その後は学校の友達と遊んだり、車の免許を取得したり、自分の負担にならない時間の融通がきくアルバイトをしたりしました。

高校生活  看護の道 ②

そして3年になり、高校生活最後の年となってしまいました。

 

本格的に病院での実習が始まり、患者さんを受け持つことになりました。体を拭いたり、足を洗ったりくらいしか出来ませんが…。その他は、検査の見学や処置の見学などをしました。

 

夏休みを利用して、看護体験を病院で体験しました。実習とさほど変わりはありませんが、いい体験が出来ました。

 

グループの1人の友達と仲良くなり、親友と呼ぶほどになりました。一緒に買い物したり、テスト期間中は一緒に図書館で勉強したり、夏祭りや花火大会に行ったり…。親友といてとても楽しかったし、いい思い出が出来ました。

 

学校の授業も終了し、最後の最後にある准看護師資格試験に向けて勉強しました。私は准看護師資格試験に合格し、高校卒業と同時に資格も取得することが出来ました。


そしてさらに上の正看護師の資格を取得するため、専門学校に進学することにしました。


いくつかの学校を受験しその中1つ、県内にある学校に進学することに決めました。


あっという間に、高校生活が終わってしまいました。高校生活の中で、この3年生が一番思い出深い1年になりました。

高校生活  看護の道①

そして私は、衛生看護科のある高校に入学しました。公立高校に落ちたことはショックだったけど、看護の道に進むことが出来たので、とても嬉しかったです。

 
気分も心機一転し、クラスメイトの人たちと仲良くなりました。お昼は一緒にお弁当食べたり、授業中に手紙回ししたり…。楽しい日々を過ごしました。
 
吹奏楽部にも入部しました。クラリネットを担当し、一生懸命練習しました。けれど部活が忙しくなるにつれてついていけなくなり、半年ほどで退部してしまいました。
 
勉強面は普通科目はもちろん、基礎的な看護のこと、病気について、看護の技術について、多くのことを勉強しました。
 
友達と楽しい時間を過ごせる喜びを感じながら、1年が過ぎていきました。
 

そして2年になりグルーブ内の人たちと、些細なことがきっかけで仲間外れにされてしまいました。手紙回しも、私だけ回ってこず…。

 

謝っても許してもらえず、仲間外れだけでは物足りず、無視されるようになってしまいました。

 

その時4人組のグループの1人から、声を掛けられました。「大丈夫?」「私たちのところにおいでよ!」と…。

 

それからというもの、そのグループの人たちと仲良くなり、一緒にお弁当食べたり、帰ったりするようになりました。そのグループに入れて、よかったです。

 

学校行事で、看護科特有の戴帽式がありました。また修学旅行で、初の海外に行きました。

 

その後、老人ホームでの看護実習が始まっていきました。初めての実習は、とても緊張してしまいました。

 

実習がどういうものか、感じることが出来た2年でした。

中学時代

小学を卒業し、中学に入学しました。


はっきり言って中学生活の思い出なんて、あるようでないものです。あまり思い出せません。


母が亡くなった事が関係しているのか、心にポッカリ穴が開いた状態でなんとなくの生活を送っていたように思います。


自分の性格が内向的なのが、さらに内向的になってしまい…。自分の殻に閉じこもっていた感じでした。


たまに「私なんていなくても、誰も困らないんじゃないか」って思ったり、自分に自信がなくなり軽い自傷行為してみたり…。中学生活は、何もかもが苦痛でした。


友達はいたのですが、なぜか1歩身を引いて接していました。なので親友と呼べる友達がいませんでした。


学校での行事(日帰り旅行・修学旅行など)が苦手でした。班を決めたり、バスの座席を決めたり…。


いつも残ってしまい、誰かから「こっちにおいでよ」「一緒に座ろう」って声をかけてもらっていました。


グループに入ることも出来ませんでした。グループに入れたとしても馴染めなくて、休み時間は1人で過ごす事が多かったように思います。

 

勉強も苦手になり、テストも悪い点数ばかり取ってしまい、テストや通知表見せれば、父や姉たちに怒られてばかりでした。


自分が情けなかった。


高校受験も…。


塾に通っていたけど、なかなか思うように成績が上がらず。受験直前に塾をやめてしまいました。


結果、第一志望の公立高校を受験するも落ちてしまい…。滑り止めで受けた高校に進学する事になりました。


本当に中学時代は、気持ち的に辛かったです。子どもから大人へと向かう成長課程の中なのか、自分で自分の事が分からず、自分の事が大嫌いでした。


いつか自分の事が分かり、自分の事を好きになる時が来るのかなって思ったりしていました。

幼い頃私は、母が嫌いでした。理由は厳しかったし、我慢させられることが多かったからです。

 
服などはいつも姉のお下がりで、新しい服をあまり買ってはくれませんでした。買ってくれたとしても、おばさんみたいな服や男の子が着るような服ばかりでした。
 
私は女の子なのになぁーっていつも思っていたし、赤やピンクといった女の子らしい服が欲しかったのを覚えています。
 
そんな私も反発してなのか、いつも母に迷惑ばかりかけていました。買ってくれた服を突き返したり、暴言をはいたり…。
 
勉強の出来も悪かったため、テストで悪い点数取ると、頭を叩かれたり、髪の毛を引っ張られたりされていました。
 
母は私のこと、手のつけられない娘と思っていたのかも知れません。それと同時に、どういう風に育てたらいいか悩んでいたのかも知れません。
 
そんな中での母の死…。
 
憶測で書くので、母がどう思っていたか分かりませんが…。
 
母は、死んでも死にきれなかったと思います。年頃の2人の娘と、こんなワガママで手のかかる娘の私、3人の娘を残して逝くことを…。
 
3人の娘の成長を見たかったと思うし、3人の娘と色々なことをしたかったんだと思います。
 
そして家族みんなで幸せな生活を、これからももっともっと過ごしたかったんだと思います。
 
 
私も、もし今死んだら、そう思ってしまうからです。
 
私も、2人の子供の母親になりました。私の宝物であり、とてもかわいい子供たちです。
 
普段は言うことを聞かないで、やりたい放題な子供たち。子供たちを毎日毎日怒ってしまい憎たらしいけど、やっぱり寝顔や成長を見てるとかわいいです。
 
こんな子供たちを置いて、死ぬことは出来ません。子供たちの成長を見たいし、もっともっと家族とたくさんの思い出を作りたいです。
 
けど、死はいつ訪れるのか分かりません。今日かも知れないし、明日かも知れない…。
 
悔いが残らないよう、後悔しないよう、日々を過ごさないといけません。
 
そういう日が訪れる前に、子供たちに今出来ること。それはたくさんの愛情を、子供たちに降り注ぐことだと思います。
 
たくさん「大好きだよ」って言って、たくさんギュってハグする。子供たちから嫌がられるけど、幼い今ならたくさん出来ます。
 
子供たちに寂しい思いをさせないよう、これからいっぱいの愛情を届けようと思いました。

突然の出来事

私の人生がガラって変わる、大きな出来事がありました。それは、あまりにも突然の出来事でした。

 
その出来事とは…、母の死です。
 
 
私の母は幼い頃にあることがきっかけで、脳の病気になってしまいました。
 
見た目は普通の健常者ですが、発作を起こして意識をなくすことがありました。
 
その発作は軽いものから重いものまであり、発作を起こしている母をどうしたらいいか分からなかったです。
 
いつ発作を起こしてしまうのか分からないので、幼かった私にとって恐怖心でいっぱいでした。
 
母が亡くなった日の出来事は、今でも鮮明に覚えています。
 
 
私が小6のある日曜日。母はその日出掛けてて、夕方に帰宅しました。
 
夕飯は姉と一緒に、ミートソーススパゲティーとサラダを作りました。
 
私は食事後入浴し、その日は珍しく自室で勉強をしていました。
 
母が自室に入ってきて、あめ玉をもらいました。部屋を出るとき、「勉強頑張ってね」と声をかけてくれました。
 
その何気ない母の言葉が、最後になってしまうとは思っていませんでした。
 
その後、母は入浴しに浴室に行ったものの、なかなか出てこなかったため、姉と一緒に覗きに行きました。
 
浴室で倒れている母を見つけ、父が心臓マッサージをするも意識が戻りませんでした。
 
私は何が起こっているのか理解できず、ただ立ち尽くし泣くことしか出来ませんでした。
 
救急車で病院に搬送され、色々な処置をするも状態は変わらず…。そのまま母は、還らぬ人となってしまいました。
 
その現状を理解することも出来ず、ただ泣くことしか出来ませんでした。「嘘であって欲しい」「これは夢なんだ」、何度も何度も思いました。
 
けどそれも現実だと分かり始めたら、急に胸が締め付けられ苦しくなりました。
 
もう母に会うことも出来ない…。
 
母と話すことも出来ない…。
 
母の温もりも感じることも出来ない…。
 
現実を変えることの出来ないもどかしさや、もっともっと母と色々なことがやりたかった後悔さが残ってしまいました。
 
これから私は亡き母に、一体何が出来るのだろう…。
 
唯一、母と約束したこと…。
 
それは、「看護師になること」。
 
母との約束を果たすため、母親孝行をするため、病気で苦しんでいる患者さんの命を助けたいため…。
 
そういう思いが強くなり、看護師になろうと決意しました。